最新情報Anews:043/不定期/12月2日号
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今回は前々から考えて来ました知られざる「大琉球への道」編集に難渋して漸く形になりました。まだ不充分な所も有りますが後で手直しする事にして取り敢えずアップします。

今回は那覇周辺を中心に知られざる「大琉球への道」です。一部に手直しが必要な所も有って迷った末に前回の更新から2ヶ月も過ぎていますので取り敢えずアップする事にしました。
左の画像は戦争中まで連続アーチの優美な形を誇った「真玉橋」の姿を偲ばせる古い写真です。撮影した場所は現在の赤十字病院付近かと思われます。この後、日本軍と米軍の「作戦上の都合」で完全に破壊され戦後の架橋工事の際にも遺構を見過ごして来ましたが平成になって現在の真玉橋架橋工事に際して戦前の遺構が出現した為に保存を巡って議論の末に道路際に一部の遺構が復元保存されています。
ここから西側の「慢湖」と呼ばれる水域は南北から埋め立てられて狭くなっていますが往時は幅1km以上にも広がった内湾で「真珠湊」と称される天然の良港でした。従って明治以前には「真玉橋」から「石火矢橋」を渡って豊見城への道は重要官道として整備されていました。首里金城町の石畳道はここに通じる「真珠道」別名「真玉道」の入口です。那覇港の入口には北側に「三重城」南側に「屋良座森城」が構築され湾内に浮かぶ「奥武山」には港湾管理の「御物城」が配置されていました。
左の写真は戦前の「崇元寺」石門です。大正から昭和初期まで走っていた電車の線路が残っています。昔、那覇が「浮島」と呼ばれた時代に首里へ上る道は前島の浅瀬を岩伝いに辿り現在の泊高橋から海沿いの道を進みました。潮が満ちて来れば水没してしまう悪路を改善する為に「浮島」から安里に向かって「長虹堤」と呼ばれる海中道路が潮流が激しく十貫の岩も流されると言う意味で現在も通称として残る所に難工事の末に建設されました。
それは中国皇帝の使節「册封使」を迎える為の重要な貴賓道であり大琉球の威信を賭けた大事業でした。「册封使」とは琉球国王の即位に際して中国皇帝が認証する為に派遣する代理官で当然ながら琉球国王より官位は高く威厳を保って国王を見下しています。そういう「册封使」に頭を下げさせる為に「長虹堤」の真っ正面に歴代の王朝を祀った霊廟として「崇元寺」が造営されました。通常の場合、寺は山の上に造られますが「崇元寺」が海際の平地に建立されている理由は儒教の先祖崇拝を軽視出来ない「册封使」に礼拝を求める事が目的でした。
首里御城の第二門は通称「守礼之門」と呼ばれていますが本来は「待賢門」です。

首里御城 世界遺産 萬國津梁の鐘 大琉球之図 識名園 福州園 東冶堂

世界遺産に登録された琉球の独自文化には意外な事が隠されています。「斎場御嶽」は琉球の信仰の聖地として知られていますが実は琉球以前の遙かな古代に構築された石造物です。巨大な岩石を加工して並立させる形は古代から神の通り道として世界各地の遺跡に存在する形です。琉球王国の統一を成し遂げた「尚巴志」は本来は九州から南下して来た「倭寇」の血を引く人物であり琉球列島に古代から伝わる「ユタ」と呼ばれる民間信仰の伝道者が継承して来た琉球の由来に関わる伝承を否定しなければ正統な統治者としての資格を失う危険性を危惧して「ユタ」を弾圧すると共に古代信仰の聖地を国家管理下に置いて権力の維持に利用したのです。
別のウインドウを開くスクリプトのデータは「菊池さんの工作室」から借りています。
平成15年4月26日午後3時から空港自動車道の豊見城東道路が一部供用開始されています。
当面は豊見城ICから南風原南IC間を片側一車線の対面通行で一般道路の扱いですから通行は無料です。但し最近は県道7号線が何時も渋滞していますので余りお薦め出来ません。沖縄本島道路行程表
海洋博記念公園の「美ら海水族館」沖縄本島南部に新しく開通した「ニライカナイ橋」本部半島の嵐山のパイン畑に付いてのレポートも御参照下さい。嵐山のパイン畑携帯カメラの使い方

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A.news予告/那覇周辺の案内マップ「知られざる琉球への道」は今後も手直しする積もりです。